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執筆者の写真Yuki Ogino

#1「アンコンデショナル・ラブ」/椎名林檎

更新日:2022年7月23日




/敬愛するアーティスト、椎名林檎より。


私、ひいてはあなたにとっての「かたちのないゆらぎ」とは、なんだろう。

2019年から活動を始め、3年目にしてようやく落ち着いてきた私は多少の「見られる意識」が芽生えてきた。

今まで蔑ろ(というか後回しにしてきたもの)にしてきたものに、ちゃんと向き合ってみたらそれはそれは面白い。

余談だが、私のフォロワーは同世代(25~34歳)の男女(比率もだいたい半々)が多いらしい。

個人的な思い込みだが、「抽象的な表現」は「女性的なもの」だと思っていたのでこれは新鮮な驚きだった

(しかしながら、フォロー外のビューワーは圧倒的に女性が多い。

男性はフォローしてくれ、女性は興味を持って検索→気になって見てくれているということだろうか)。

さて、私やあなたにとって「かたちのないゆらぎ」とはなんだろう。

フォローしてくれたということは、私の作品やステートメント、思想、エトセトラに共感してくれたのだろう。

だとしたら、私の制作テーマである"「かたちのないゆらぎ」に「かたち」を与えること"には一考の余地があると言えるだろう。

画面の向こうのあなたに「かたちのないゆらぎとは?」と問うのは難しいとしても、

私が私に「かたちのないゆらぎとは?」と聴くのは非常に容易いことだ。

私にとって「かたちのないゆらぎ」とは「恐怖」”だった”。(ただ、今は怖いとは思っていないし、むしろ心地よいと思っている。)

私は昔から泣き虫で「感情に言語が追いつかない」「形容しがたい感情に襲われる/振り回されれる」ということが多かった。「怒り」を自覚していても、それを適切に言語化する能力が乏しく(10代の頃は特に)、大きすぎる感情(例えば怒り)が湧き上がった時は、泣いていることが多かった。泣くこと=悲しいことというふうに考える人が多いと思うが、私は怒りでもそういうことが起こりえた。元々の感情を受け止める器が小さく、それ以上に感情が大きすぎて器からこぼれ落ちてしまうのだ。

その感情への意識は、紛れもなく「恐怖」だ。自分の小ささと、自分の特性の難解さに私は心底うんざりしていた。自分はなんて面倒で、複雑で、素直ではないのだろうか、とすら思った。

私が自己の「かたちのないゆらぎ」を受容できるようになったのは、(単純に子どもから大人に成長したからというのもあるが)抽象画を描き始めたことが少なからず関係あるように思う。これは一般論と経験則からくる独断だが、具象(目に見えるもの)を描くとき、描き手は「できるだけ正確に描く」ことをモチーフから求められる。深淵を見る時よろしく、描き手がモチーフを見るとき、モチーフも描き手を見ていると私は思う。そして、描き手は無意識に、そして自分の創作欲に従って「そのものを正確に描写したい」と思うのである。これはものづくりを経験した者にとっては当然の感情であるが、とうの私はそれとの折り合いが絶望的に悪かった。

2019年以前の私は人物画を中心に作品作りをしていたが、私は例に漏れず「絵は正しく描写しなければならない」と思っていた。それで苦しくなって、大学卒業後全く絵が描けない期間がしばらく続いた。

そして、気まぐれに描いてみた抽象画が知人に好評で、その反応があまりにも熱心だったものだから「抽象画をやってみようかな」と思うようになった。それは実際、”人物画に行き詰まっていたから”で、”純粋に抽象画に強い興味があったわけではない”のだ。単純に違うメニューを他人に出してみたら「この料理のセンスあるんじゃないの?」と言われて、今までの行き詰まっていたメニュー(人物画)から一転、抽象画家になった、というわけだ。

私にとって、「かたちのないゆらぎ」は恐怖だった。人物は、目に見えるものは「正しく描かなければならない」。だからこそ、昔の私には心のうちに浮かび上がってくる「正体不明の感情」には名前を付けることはできなかった。

でも、抽象的表現にシフトして「かたちのないゆらぎ」は怖いものではなく、むしろ私のアイデンティティであることに気づいた。10代の時に思い込んでいた自己肯定感の低さは、感受性が豊かな者たちが必ずと言っていいほど通る”通過儀礼”だったのだ。

私は「かたちのないゆらぎ」を愛している。

それは、おそらく人間特有の感情、そして恐怖だからだ。人間は知ることで恐怖を拭い去ることができる。だからこそ、「かたちのないゆらぎ」は知らないうちは、恐怖を感じるだろう。抽象絵画も自分に関係ない領域、自分では知覚できない領域にあるうちは味わうどころか「得体の知れない化け物」にすらなる。

しかし、それに対して名前、かたち、色彩、ストローク。目に見える「かたち」を与えることで、私は私の恐怖心や感情と向き合うことができる。

それは私という感受性の豊かな人間には、必要不可欠な儀式なのだ。

あなたにとって、「かたちのないゆらぎ」とは何だろう。

私はその答えのないそのテーマについて、永遠に思考、そして作品を提示し続けていきたいと思う。

2022/07/23 浮世.

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